ミニマリストになったら、なんだかんだあって、移住、就農してた(仮)

最近はミニマリストというよりかは、シンプルに丁寧に生きたいおじさん。あと、最近移住、就農した。

レコードと私


スポンサードリンク

実は大学時代、趣味でDJをやろうかどうか悩んだことがあった。で、結局無理だと諦めた。なぜか?それは入ったサークルで同じことを目論んでいた人たちの多くを見て、あ、これは僕には無理だなって思ったからだ。

 

今でこそ、スマホとかでもやろうと思えば出来てしまうDJだけど、その当時はようやくCDJが出始めたかどうかぐらいのタイミングでして、始めるからにはレコードを回すの一択しかなかった。

 

機材は、頑張ってお金貯めて、買えばいいのだけれども、厄介なのがレコード。餓鬼のころ、テクノの衝撃を受けてから色々と音源を手に入れていたが、それらは全てCD。全くレコードなど一枚も持ってなかった。要は一からコレクションしてかなきゃいけなかったわけだ。

 

さらに、面倒だったのは、その頃まだインターネットもそこまで普及してなく、情報は自分の足で稼ぐしかなかった。だから、毎日のように渋谷に通って、レコード屋をめぐる必要があった。

 

そんな感じだったので、志DJチームの皆さんは、朝ちょこっと大学に顔を出したらかと思うと、昼には渋谷に直行してみたり、はたまた、顔を出すことなく渋谷に直行してみたり、直行するにも軍資金が無いと何も出来ないんで、バイトを勤しんでみたり、当然キャンパスライフも満喫。そして、よくはクラブへ。みたいな。あまりきちんと覚えてはいないけど確かこんな感じだったんじゃないかしら?

 

やはり悟りますよね。住んでる世界が違いすぎますから。話を聞いてて、僕には到底出来ない所業ではないなと。そこがげんしけん笹原完士と私の違い。ようするに「俺に足りないのは覚悟だ」と。文脈なんか違う気がするが。読んだのが随分と前なので忘れてしまった。てか、その後なんだかんだあって、斑目先輩的にいうと「無理だね なろうと思ってなったもんじゃねぇからやめる事もできねぇよ」と、げんしけんライフにどっぷり浸かり、汚部屋に拍車がかかったことになるのであって。。。

 

さて。話がナイル川のように蛇行してしまったが、あの時、僕が覚悟を決め、DJを始めていたら一体どうなっていたのだろう?とたまに思うことがある。そして、その時代に買っていたであろうおびただしい量のレコードはどうするのか?そんなことを久々にそんなことを考えてしまった。

 

というのも、先日CDを手放したところ、思わぬ臨時収入があった。なので、最後まで手放せずにいたレコード達を解放する為に、パソコンと繋いでデータ化できるレコードプレイヤーを注文したのだ。

 

 

今取り込んでいるレコードのほとんどは、志DJチームの人たち誘われて、何度かレコード巡りについて行った時に手に入れたものだ。そりゃあ昔に思いを馳せるのも致し方ないな。

 

つうか、作業をしていて思ったのだけど、おそらくDJしてたら、こいつを手に入れてさっさとデータ化してたな。これは地味に楽しいぞ。いや、これは去年レコード手放す前に買っとくべきだった。猛省。だって、絶対にデータ化したいリストに入ってた「Dr Shingo's Space Odd-Yssey」を間違って手放してたんだから!このショックは数日引きづりそうだ。AmazonでCDを手に入れるか悩み中。

 

Dr Shingo's Space Odd-Yssey

 

どんなにクラブで楽しんでても、だんだん寂しくなってしまい、しまいには帰りたくてしょうがなくなる病が発症してしまうんだ。何度行ってもそう。どんなに楽しくても寂しくなっちゃうの。帰りたくなっちゃうの。それが嫌で夜遊びやめたみたいなところは正直あるな。結局、色々と考えてみると今以上に社交が苦手だったってことが原因。

 

そんな社交が苦手な小生がただ人脈作るのとかをめんどくさがっただけなのよね。なんだかんだで人脈がものをいうというか側から見ててそんな気がした。

 

嗚呼、あの時人脈作ってたら、いくらか今とか楽になってたのかしらと思うと悲しくて悲しくてとてもやりきらない。

 

いや、最近はそうでもないな。なんかミニマリストとかシンプルライフとかの概念を知って、その手の本を読み漁っていくうちに、人脈とかそういうゲームから降りても楽しくやれてたりするんだ。