干し柿のある生活
先日、先輩農家さんにキウイフルーツを大量に頂いた。
初めは普通に食べていたのだけど、このペースでは食品ロスをしなくてはならなくなりそうだったので、色々とGoogle検索。
リカーにつけてキウイ酒を作ってみたり、砂糖と混ぜて酵素シロップを作ってみたりしてみた。まだまだ個数に余裕があったので、せっかくだし、気になっていたドライフルーツも作ってみた。
干し網に3mm程度に輪切りにしたキウイフルーツを並べていく。そいつを天日干しすると3〜4日でカラカラに出来上がる。簡単。それにうまい。
これらのおかげで無事頂いたキウイフルーツを美味しくいただける算段がついたのだが、結果ある欲求が沸々と湧いてきた。
干したい。もっと干したい。
お日様にただあてる。たまに見てみると日に日に乾いていく。カラカラに水分がなくなっているのに食べるとうまい。正直この魅力に取り憑かれてしまった。
キウイ酒を作る時に出たレモンの皮なども干してみたのだけど、そんななだけでは、欲望を満たすことできず、何かなぁ?何かなぁ?と自問自答すること数日。たまたま入った古民家カフェで閃いた。それはタイトルにあるように干し柿だった。
たまたま窓の側に座った我が家。窓の向こうには干された渋柿。その様がなんとも美しかった。ちょうど先日先輩農家さんと会話をしてざっくりとではあるが作り方を聞いたばかりだったこともあり、横にいた妻に相談。妻も同じようなことを考えていたようで即承諾。その足で渋柿を購入し、翌日皮剥いたりなんなりをして、無事干すことに成功。
ドラム式洗濯機のお陰で使用頻度が格段に減った物干し竿に干したのだが、殺風景でしかなかった窓からの風景が一気に華やかになった。まだ干したままないからカーテンを開けると鮮やかなオレンジ色の柿が均等に並んでいる。その様が映えて映えて仕方がない。太陽の光の具合で朝見ても、昼見ても、夜見てもいつだって表情が違うずーっと見ていられる。殺風景過ぎてこの半年必要が無ければ見なかった窓の外が時間があれば外を見にいっている。そして柿を見ていると精神がとても穏やかになってくる。こいつは来年以降の我が家のルーティンが決まったように思う。
焼き芋と僕。
移住して初めての冬をそろそろ迎える。
寒さに備え石油ストーブを買った。色々考えた結果、アラジンの切タイマー付石油ストーブを買うことにした。
買ったもののまだそこまで寒くないので、使ってはいない。だけど、頻繁に使うようになったら楽しみにしていることが一つあり、それはこいつの上にアルミに包んださつまいもを置き、焼き芋を作ること。正直そういうことができるというので買ったと言っても過言ではない。
それにしても焼き芋。秋の晴れたある日、落ち葉を集め、火をつけ、その中にアルミに巻いた芋を入れ、待つことしばし、出来上がった焼き芋を割って食らいつく。
私もたった一度だけ体験したことがあるのだが、この原体験、原風景が余りにも衝撃だったようで、いつのまにか焼き芋は焚き火でしか作れないと思い込んでいた。今までの人生では落ち葉を集めることもなければ、燃やすことも無かった。つまり、焼き芋を食べる機会に恵まれなかったわけだ。
それがどうだろう。焚き火をしなくとも齢20年ぐらいぶりに食べるチャンスに恵まれたのだ。なんなら、これから冬ごとに食べることが出来る。どうだろう。これを世界の勝ち組と言わずして何というのだろうか。そんなこんなで無事、我が家にアラジンのストーブが届いた。これでいつでも焼き芋が出来る。
ただ、届くちょっと前にうっかりやってしまった。やってしまったのだ。魚焼きグリルでの焼き芋作りをだ。そう。「焼き芋 グリル」で検索してしまった。そこで知ってしまった。魚焼きグリルで焼き芋が作れることを。
水洗いしたい芋をアルミホイルで包み、魚焼きグリルで片面を約20分ずつ焼けば、焼き芋ができてしまう。
知恵のついた私は近所のスーパーで色んな種類のさつまいもを買っては焼き、買っては焼きを繰り返した。するとどうだろう。漏れなくどれも美味しく焼けてしまうのだ。うまいのよ。本当にうまいの。
気せずして、焼き芋マスターになってしまったわけだが、ここでちょっと思い出して欲しい。我が家のアラジンの石油ストーブのことを。もうこの子に頼らなくても焼き芋が出来てしまう。なんなら、春だろうが、夏だろうが、秋だろうが、いつ何時でも焼き芋を作ることが出来る。自ら冬の楽しみを葬ってしまった。ぐすん。
我が家はいろんなモノであふれかえってる
ご無沙汰しております。
仕事が繁忙期だったこともあり、そしてその時期もだいぶ経って、今ではとても時間があるのにブログお休みしておりました。ご機嫌いかがですか?コロナとか平気?
それにしても、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
私は残念ながら、モノであふれかえっている。お恥ずかしい話なのだけど、あふれかえっている。
なんでか?考察してみると、単純で、単にモノが増えているから。でも、これについては仕方がなかったりするんです。
だって考えてみて欲しい。元々デスクワークのおじさんが、いきなり農家になったんです。そりゃあ必要なモノがガラリと変わったんです。
例えばの話。
今までは、雨の日は折り畳み傘だけで良かったのだけど、農家繁忙期ともなると雨の日でもガンガン外で働きますからね。傘刺しながらは作業できないので、そうなるとレインコートを買わざるを得なくなる。とか。
てか、そもそも農作業で必要な道具とかも増えてますしね。
というわけで、モノで溢れている。結構ストレスはストレス。モノがない部屋で生活することが、いかに気持ちがいいかを知ってしまったからな。
でも、これはしょうがない。だって、過渡期ですから。数年かけて農家にとってのミニマリズムが分かればと思っている。いや、焦っているんかな?このところあまり考えずに買って失敗したりしているしな、、、
まあ、兎にも角にもそんな感じでやっております。
ではでは。
僕は勉強ができない
最近味噌汁を作ることにハマっている。
きっかけは妻と味噌汁の出汁の取り方の話していたのだが、そこで妻、煮干しで出汁とっても、それをお味噌汁の具にしちゃってもいいのよね的な事を言った。それが私にしては寝耳に水だった。
親のエゴで中学から私立に行っていた私。その学校の方針で、家庭科、保健体育などいくつかの授業を受けた記憶が無かった。家庭科は小学生止まりだから、家事に関しての基本的知識があまり無い。
出汁の取り方も逃げ恥で伊豆から帰ってきたガッキーさんが鰹節で出汁を取るシーンを見て、あ、出汁ってこうやってとるのか!となり、続けてこいつはめんどくさいな…となった次第。
それが、水に煮干しを入れ、煮立てれば、出汁が取れるというのだ。そこになんか具材入れて、味噌を溶けば、味噌汁になるというのだ。こいつは、知らんかった…
物は試しということで、ある日スーパーでお菓子コーナーの小学生がママにおねだりする様に、乾物コーナーで煮干しを妻におねだりし、帰宅後、言われた通り、試しに作ってみた。
美味い。旨すぎた。長州力いうところの「食ってみろ。飛ぶぞ。」だったのだ。
水に煮干しを入れ数時間待ち、その状態で一度煮立てただけで、顆粒だしで作ったものを軽く凌駕してしまう。そして、煮干しもお味噌汁の具になる。こいつはもう願ったり叶ったりなのだ。
さらにインスタにも写真を上げた様に、私には土井義晴先生が付いている。
ミニマルおじさん on Instagram: “#購入 #読書 #土井義晴 #一菜一汁 #丁寧な暮らし #ていねいな暮らし #シンプルライフ #シンプリスト #ミニマリズム #ミニマリスト”
師曰く「お味噌汁の具はね、何入れたっていいんですね」なので、冷蔵庫に余っている野菜を放り込めば、それはもう立派なお味噌汁。しかも、近所のスーパーでそこまで値の張らない美味しい手作り味噌が売ってたりするのでさらに味噌汁を一段階上のご馳走に変えてしまう。ここまで来ると不味く作る方が難しいぐらいかもしれない。
ちなみに試しに作った味噌汁の写真を掲載してみる。
きゅうりはちょっと微妙だったが、それ以外は手前味噌ながら美味しかった。美味しいので、翌日も、翌々日もとなっている。まさか家庭科の楽しみをおじさんになってから知ることになるとは思わなかった。
目の筋トレ
先日書いたのだけど、読書家だったのが環境が変わって読まなくなりつつある。とはいえ、やはり読書家のままでいたいと日々思っている。
というわけで、久々に本を読んでる。図書館に行けないから紙の本を買ったりしている。
ミニマルおじさん on Instagram: “#購入 #読書 #土井義晴 #一菜一汁 #丁寧な暮らし #ていねいな暮らし #シンプルライフ #シンプリスト #ミニマリズム #ミニマリスト”
にしてもだ。久々に読書をし始めてわかったことがある。
1ヶ月も読まなくて久々に読み出すと目が痛い。あっという間にすぐ疲れる。
昼間に本を読み、夕方ごろ目が痛いことに気がつく。なんだろう?なんか悪いことしたかな?って、思い悩むことしばし、「あ、本読んだからか」と。気がついた時には既に遅い。だって、目は痛いのだから。つくづく目も筋肉なんだなって気付かされる。久々に目薬を刺しましたよ。
にしても、ジョブチェンジしてから目を酷使することが無くなったからなぁ。そこはありがたいのだけど、趣味の読書には影響を呼ばせたくはないのよね。
やっぱ目の筋トレは継続的にしていかないと行けないんだなってつくづく。時間見つけてやっていこうと思う。
そういえばの話。
そういえばなのだけど、心療内科に通うの辞めました。
都会で働いていたときは、薬飲まないと夜寝れないがデフォだったのだけど、移住してから寝れないということが基本ない。
自然にぐっすり寝れてしまうのである。寝れるのに、薬もらいに行くのも違うでしょ?というわけで移住先で心療内科を探すことをやめてしまいました。
てか、本当に心療内科でもらってた薬が必要なくなったのはでかいな。今までに幾らぐらい眠剤に使っていたのだろう?そして眠剤を飲まないと寝れないぐらいのストレスを抱えながら働いていたんだな。会社をやめただけでそのストレスが吹き飛んだんだな。なんか、色々と考えてしまうな。
あ、ちゃんと断っておきますが、一応前に何度も先生にどうやって薬をやめていくかとか相談はしています。それを踏まえた上で判断しました。あとこの対処が正しいかはお医者でないならわかりません。そのため、本当はお医者さんときちんと相談した上で対応した方が良いように思います。
と、ここまで書いたら無性に眠くなってきたから今日はこの辺でZzz