僕と年賀状。
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松も開けたからいいか?書いちゃおう。
年賀状をやめて久しくなる。当然今年も出してもない。
昨年もちょっと書いたが、元々学生時代からめんどくさいからという理由で年賀状を辞めていた。それが学校を卒業し、社会人として配属された先の上司がよくわからないこだわりを持っていて、「年賀状は当然出すもの。そして手書きで一筆が何かしら書け。」そんな感じで教育された。
右も左も分からない新人からしたら、上司の言うことは絶対なので、正直めんどくさいと思いながらも従っていた。
その後、その上司と私の関係は悪化。そして数年後、私はその部署を異動することになったのだが、異動した翌年から年賀状をやめた。
尖っていたわけではないのだけど、前述の通り元々出すことに意味を感じてなかったのと、関係性も悪かったからもういいかと。
すると、年明け早々バッタリ会ってしまい、「あけましておめでとう。年賀状貰わなかったけど」的な皮肉というか文句というかをネチネチ言われた。ああ、この人との年賀状の関係性は続けないとなのかとつくづく思い知らされた。
その年末、かなり精神的に参ることが重なり、何もやる気が起きなかったのだけど、とりあえず出すだけ出そうと頑張って宛名だけ書いて送った。すると、年明け、会社に行くと「なんで手書きの一筆がないんだ。一筆ないなんてそんなもん年賀状としての意味をなさない」みたいなメールが届いた。
読後、あまりにもカチンときて、「ばかたれ、こっちにもいろいろあんだよ、付き合いきれんわ。とうへんぼく!くるくるぱー!」といった内容を薄めに薄めたメールを返信。それを気に年賀状を出さないことに決めた。
とまあ、ここまで書いてて、上司も上司なのだか、私も私なのである。出すならちゃんとしてないと小言が来るの目に見えてるのに。青臭いわ。嫌だ。嫌だ。そんな意地にならんでもいいのにね。そりゃあ出世しないわけだ。
あ、あと、ちゃんと断っておきたいのは、こうやって書くことでその上司を断罪したいわけではないです。逆に私の青臭いさ、残念さを世間に公言したいわけでもないです。単純に事実こう言うことがあったと言うことを書いているだけです。記憶違いがあるかもしれないが、あったことをただ書いているだけ。
時を戻す。
私がその上司への年賀状を一切出さなくなっても、そんなのお構いなく、その上司は律儀に自分ルールを守って、手書きの一筆が書かれた年賀状が毎年出してきた。
その時は仕事の関係から、正月三ヶ日は割と出勤していたのだが、疲れて帰って郵便ボックスを開くと入ってる年賀状。これ結構なストレス。元旦早々高ストレス。
にしても、何年ぐらい続いたのかな?それがある時を境にバッタリとなくなった。
ある年の瀬にバッタリ上司と駅であった。何か話しかけようと近づいてきた上司に、急いでいたこともあって、私は会釈をしつつも、走って逃げたのだ。それがおそらくきっかけだったのだろう。その翌年の元旦から来なくなった。長かった戦いもようやく終わった。それにしてもほんと長かった。
にしても、なんで誰も得しない、読んだとてあまり気分も良くはないであろう出来事について書いたのか?それは、この時のやり取りのお陰で、年明け早々郵便ボックスを開くのが、未だにストレスだったりする。それをお伝えしたいからだ。
お互い当時の会社から離れたし、前以上に関わりが一切なくなり、私も数回引越したので、上司は、今の私の住所なんか当然知らないのだが、郵便ボックスを開いたら来てるんじゃないかと思ってしまっている自分がいる。
さて、長くなってきたので、そろそろ話を終えないといけないのだが、これどうまとめよう?
割とカロリーのかかった断捨離の一例ってことでいいのかな?あと、やり方間違えると大変だよみたいな?
うーん。違うか。なんか違う。
なんだろう。自覚として年賀状に対して「離」が出来てないところがあったんです。だからストレスに感じてたわけで。なんで成仏させたくて、あえて書いてみようと思った。そしてここで綺麗に終われたら、ようやく年賀状を卒業できると思ったのたが、筆が進んで色々と書いてはみたものの、話をまとめられず、見事に着地を失敗してしまった。
残念ながら、どうやら私はまたまだ年賀状を卒業することができないようだ。残念だ。そして、ここまで読んでしまったそこのあなた。こんなことに長々と付き合わせてしまって申し訳ございませんでした。猛省。