ある本を読むのを途中でやめた話。
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最近とあるブロガーさんのミニマリスト本を読みましてね。
ちょっとなんか嫌だったんで途中で読むのやめちゃいました。
なんで嫌だったかを失礼を承知で文章に残しておこうと思う。もしかしたら、不快に思われる方いるかもですが、ごめんなさい。不快と思われたら読むのやめていただければと思います。申し訳ない。
あのですね。「幸せそうに暮らしている人は喜びの沸点が低い」っていうのはどうなんだろうって思いましてね。
「沸点が低い」っていう言葉ってあんまりいい事で使わなくないか?ほら、沸点が低い人ってキレやすい人のことだったりするでしょ。
たぶん、筆者的には単純に「幸せな人は小さな喜びに気づける」とかいう意味合いで書いたと思うんですね。それを自分なりのオリジナルの言葉に置き換えてみたんでしょう。ただ、その過程で、ちょっと筆者の嫌な部分が出てしまったんじゃないかな?
だってね、筆者はその「喜びの沸点が低い人」が「上昇志向がない」「覇気がない」と誤解され、高度経済成長期には疎まれていたと言い切る。でも、これはディスです。たぶん本人その気は無いんだろうけど。
だって、ここ重要なんだけど、上昇志向がないとか覇気がないとか疎まれていたとかの根拠が全く書かれてないんだよね。説明が全くないの。つまり。これは結局この筆者の主観でしかないってなる。筆者がそう思っているからこういう風に書いてしまう。そういうことではないかと。
自分が勝手に思っていることをあたかも世間一般的のことかの如く書く。僕は嫌です。そういうの。
で、筆者は続けて「喜びの沸点が低く」なるのに必要なのは知識だと言い出す。
幸せになるには、喜びの沸点を低くする。喜びの沸点が低くなるためには、知識が必要だと。そして、筆者はこの知識が多いと喜びの沸点が下がることの例として、さかなクンさんを出す。
水族館に行っても、自分は、せいぜい魚の名前と何となく癒されるに過ぎないという、一方、さかなクンさんは魚の知識が膨大なので、魚を見ると非常に嬉しそうと書く。
まあ、言わんとしていること分からなくもないが、なんだろう。正直感じが悪い。
だってさ、「さかなクンさん自身が魚を見ていて楽しいと言っていた」と書いてないんだよ。なのに、なんで、他人の感情を勝手に決めつけているんだ?
それで、さかなクンさんは喜びの沸点が低いから幸せですねって言う。いやいや、申し訳ないけど、あなた何様なん?
てかね、私は自分の知識のあることに触れてた時の感情って、別に喜びだけではないのよね。色んな感情が湧いてくる。たとえば、テレビ見てて、ふとしたBGMに自分が知っているマニアックな楽曲がかかった時、確かに嬉しくはなるけど、別にそれだけの感情ではないしね。幸福感だって覚えることもある。興奮することもある。
なので、私は浅はかだと思いますよ。魚見て喜んでるって判断するのは。
ただね、こういったことが起こってしまうのは、文体のせいみたいなところが大きかったりすると思うのよ。
テクニックで「ブログでは言い切りで書け!」とかあるじゃん?
ブログだとそれでいいんでしょうけど、本で読むと結構きついし、言い切ってるのに、根拠が甘いと集中できないし、気持ちが離れちゃうと思うんです。
だからさ、そこはちゃんと編集がフォローしてあげるべきだと思うんですよね。僕は。
でも、申し訳ないけど、この本は正直編集が仕事しているとは思えないのよね。まあ、その理由については聞かれたら答えるけど、そこはちょっと割愛します。
なんか、たまにブロガーさんの本でこういうことにぶち当たることがあるんだよなあ。根拠とかなく、自分の主観だけで突き進むみたいなの。
ブログなら別にそれでいいんでしょうけど、本だとちょっとそれは違うなーって思っちゃう。なんだろう。これは完璧に個人的な考え。テレビと映画って同じ映像だけど、全然別物でしょ?そんな感じか?違ったらごめん。
あと、別にブロガーさんはブログ用に文章を推敲してきたかもですが、だからといって必ずしも本用に文章が推敲できるというわけではないとも思います。
というわけで読むのをやめました。申し訳ない。
さてと、すいませんでした。本が好きなもんでついつい、熱くなってしまいました。ちょっと頭冷やします。もうちょっと簡単に暮らさないといけないな。
ではでは。
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